今すぐ質問しよう!
+4 支持
投稿 人間関係

周りと違うことをする。少し変わってるってそんなに駄目なことなのかな?

大人はよく言う。”人として当然のこと”だとか、“当たり前のこと”だとか。でもその“当然”って、一体誰が決めたんだろう。皆そういう当たり前にできていなきゃいけない基準がある。

挨拶すること。感謝を忘れないこと。時間を守ること。まあ、大事だと思うし、自分もできるだけそうありたいと思う。

でも、それを“当然”って言い切ってしまったら、できなかった人は、人として欠けてるって扱いになってしまう。朝ギリギリまで寝て遅刻したら、もう人間失格なのか?

いや、それはただの遅刻だ。

今の時代、個性を大事にしようみたいな風潮は強い。多様性が大切だって、学校でも会社でも言われる。でもみんな心の奥底では、平均的な人間を基準にしてしまっている。

ちょっと外れた瞬間に「変わってるね」で済むならいいけど、もう少し外れると「非常識」って言葉に変わる。普通から離れすぎると、いつの間にか人はラベルを貼るんだ。

俺がコンビニでスーツ姿のままアイス6本買ったときも、たぶん「こいつ大丈夫か?」って思われてたに違いない。

コンビニでアイス6本を買うのだって、誰かにとっては「変な人」でも、別の誰かから見れば「ちょっとユーモラスな人」かもしれないし、自分にとってはただの「今食べたい・買いたい」気持ちの結果にすぎない。

そう考えると、結局”普通”や”非常識”ってラベルは、見る人の数だけ意味が変わる曖昧なものだよな。

結局、俺たちが普通に縛られてるのは、人と一緒に安心して生きるためなのかもしれない。

平均に寄せていれば、摩擦が少なくて済むから。でもその代わりに、心の中の自分らしさみたいなものはどこかで削れてしまう。

じゃあ、“普通”と“個性”って、どっちを選ぶべきなんだろう。それとも、どちらも中途半端に抱えたまま揺れているのが、俺たちの生き方なのかもしれない。

まあ、答えなんて出ないけど。

ただ、もし“普通じゃない”って言われることがあったとしても、それは単に平均から少しずれただけのことだ。だから、周りと違うことに挑戦してみるのは、本当はそんなに怖がらなくてもいいのかもしれない。きっとそういう人が、偉大な世界的な発見をする学者になったりするんだろうな。「馬鹿と天才は紙一重」ていうのはきっとそういうことだろ。

周りからは到底考えられないことを、やってのけるんだから。馬鹿にしか見えないだろうな。まあ馬鹿の9割はただの馬鹿だが。

まあ、自分がやりたいこと、正しいと思うことはきっと間違ってない。最初から周りを意識しすぎもよくない。もちろん普通も大事だが。

ただ、それが正しいかどうか迷ったときに、誰かに相談すればいいんだよ。

もしコンビニでアイスを6本買っても、人間失格じゃない。

せいぜい冷凍庫がちょっとパンパンになるだけだ。

回答 4

0 支持
回答
そもそもなんでいつの間にか非常識=人間失格になってるん
0 支持
回答
アイス6本という仲間が現れて素敵な文章が頭に入ってこなかった
0 支持
回答
滅茶苦茶興味深い文章でした...!

確かに、馬鹿と天才は紙一重に過ぎませんよね。

小説とか書いてみたら人気出そう
0 支持
回答
去年から個性選んだ結果、頭いいのに頭おかしいやべーやつになった。
UVSにようこそ。ここでは自由に質問や回答をしたり、雑談することができます!
...